因幡修次という名の妖怪の呪文目録~Music of the monster named Shuji Inaba~

  99  狂気の沙汰ではありまする/AN ACT of UTTER MADNESS


この「狂気の沙汰ではありまする」は、アメリカのUltrahardというレーベルからの依頼で、
因幡さんの盟友である持田さんのPLANKTONE RECORDSが制作、
すべての準備が整い、あとは製造・発売されるのを待つだけのタイミングで、
レーベルおよびプレス工場の倒産のために、世間に公表されることのなかった幻の7枚目のアルバム。
    


01.アナルの中に棲む女

02.御伽噺の花々へ (For Fairy-tale Flowers)

03.梅雨のルンペン

04.めだかのがっこう

05.ジプシー・ローズは生きている(Gypsy Rose Lives!)

06."ともだち"("Friend")

07.イッちゃってフォクシー(Come For Me Foxy)

08.夜伽の晩餐

09.めろりんちょ  

10.グラマー観音(big_titted kannon)





札幌のサード・イアー のオーナーである菅野壮さんによる、今まで未公開だったライナーノーツを
菅野さんのご厚意により、ここに載せさせていただく。


これはフォークなのか!?、演歌なのか?!、いや、でも・・・・初めて因幡修次を聴い
たときにそう思った。確か「因縁果報」だったと思う。仕事柄、音楽を聴くと人に説明す
るためにカテゴライズしてしまうクセがあり、そんなものは便宜上のもので瑣末なことな
のだが、只今のところはお客さんには『情念アングラ・フォーク』と説明している。

もう30年以上前だったと思うが、勝新太郎の座頭市のテレビ・シリーズに、遊行の瞽女
と庄屋の跡取息子がかなわぬ恋の果てに心中してしまう哀しい話があった。浅丘ルリ子が
瞽女、庄屋の跡取息子が松平健、家の面子にかけて息子の恋路を許さない庄屋が加藤嘉、
庄屋が瞽女を殺すために雇った殺し屋が石橋蓮司で、全体を包むどよ~んとした雰囲気と
出演者達の真に迫った演技が印象的であり、こういうことは実際にあったろうなと思わせ
られる、リアリティのある何とも切ないお話だったのだが、因幡修次を聴くといつもこの
話を思い出す。何というか、まずは『真に迫ってくる感じと、どよ~んとした空気感』が
似ているのかも知れない。そして、歌詞の語尾や唄いまわしのせいもあると思うが、因幡
修次には古代から江戸時代にかけての『古の日本の香り』がするのである。

因幡修次は出雲地方出身と聞く。出雲といえば、古事記・日本書紀で天津神々に駆逐され
ていく国津神々の地である。弱者目線とでもいうのだろうか、滅び行くものへの共鳴とい
うか、人間関係や恋愛、世の中に在るどうしようもないことへの抵抗感、寂寞感、無常感
などなど、激しいシンギング・スタイルにもかかわらず怒りよりも哀しみが強く滲み出て
いる印象である。もっとも、浜田真理子が因幡修次を歌った「SYUJI」という曲の中に、
『悪いな、俺は天才だから』という歌詞があって、本人は案外オチャメで喰えないただの
酒好きのオッサンなのかも知れない。

この「狂気の沙汰ではありまする」は、因幡修次7枚目のアルバムだそうだ。今まで聴い
たことのある彼の作品の中では、最も攻撃的だが音楽的に洗練されているというか、従来
の情念爆発型スタイルのシンギングに楽曲が追いついて来たというか、歌詞と曲の流れが
寄り添い合 っていて、ともかくも唄とのマッチングがよいという印象を受けた。

個人的には、歌詞も含め「梅雨のルンペン」や「めだかのがっこう」、「"ともだち"」
のような、比較的静かな曲が印象に残ったが、「アナルの中に棲む女」や「ジプシー・ロ
ーズは生きている」等の激しい曲は、スリーヴ同様に相変わらずかなりのインパクトがあ
るし、マリファナを吸う所?から始まる「イッちゃってフォクシー」は頭脳警察みたいだ
し、「めろりんちょ」は普通にいい曲だったりする。また、浜田真理子を歌った「グラマ
ー観音」は「SYUJI」へのアンサー・ソングなのかも知れない。

このアルバムは、今までの因幡修次のスタイルの一つの頂点となるかも知れず、次作では
彼の新たな側面が顕われてくるのかも知れない。案外無責任に、そんな予感を憶えたりも
するのである。


サード・イアー/菅野 壮 '08/10/29




サッキダツ子氏によるレビュー    


このアルバムのジャケットを書いてくださったのは、
因幡さんが”世界で一番好きな画家”とおっしゃっているムラカミ成光さん。

因幡さんご自身の、そして因幡さんお歌のイメージを書いてくださった画像の一部を、
ここに載せさせていただく。